まったく新しい出会い-認識の変化が人生をturning over-"答えがわからないまま生きるのは苦しい編"
前回は、わたしが感じていた問題意識や解決したいこと、限界感じてることをとにかく表現してみました。
それらに共通するものは何だろ?て観てみた時に、 いちばんツラくて苦しかったことは何か..?
それをひとことで言えば、
"答えがわからないまま生きるのは苦しい"
さらに、 無意識レベルでは分かってるけれど、意識化から言語化することの経験がなさ過ぎて、"それを涙でしか表現できなかった"こともまた、苦しかった。。
泣くことでコミュニケーション取ろうとする、それしかできない人間だった。(以前のわたしを知ってる人はよく分かると思うww )
育った家庭環境に人間は影響を受ける。わたしの両親もとっても涙もろくて、そんな家庭で育ったから涙のファミリーなんです。
感じてることいーッっぱいあるはずなのに 言葉にできない。
いっぱいあり過ぎて、幼少期は特にことばのボキャブラリーが少ないから、ひとつひとつ言葉化(ことばか)するのは困難で、涙ばかり溢れ出して止まることを知らないほどだった。
言語化できなくて苦しい思いをしたエピソードがひとつある。
日常のなかでよく父と母が地域のことや、周りの人間関係や、筋の通ってないやり方や姿勢態度について、あの言い方は良くないとか、どうですか?の提案する聞き方とか、違う表現があるんじゃないか?とか...よく話をしていたのを聞いた。
具体的なことは知らないまま、私はわたしで、会話の一部分だけを取って、どうやら大人たちには煩わしいやり取りがあって、とても面倒臭そうだ。と、自分勝手な思い込みで解析していた。
そんななかで、母がPTAの役員になったという話を耳にして、"みんなやりたくなくて、お母さんがさせられたんだ。みんな面倒だと思ってるからやりたくなくて、仕方なくお母さんがやることになったんだー!!"と言って、わんわん×わんわん泣いたことがあった。
そんな私を、 母はいつも"泣がなくて いいがらぁー"と、 泣くことをストップさせようと、ぎゅーっと抱っこして、背中をずっとさすられて、そうすると次第に涙も落ちついていった...
けれども、それは一過性のものにしか過ぎなかった。
言語化できない限界にぶち当たれば、ひたすら涙がぶわぁ〜ッと、まるで滝のように流れ出す。大人になってからもそれはフラクタルし続けた。。
続く...☆.*