わからないことの涙
自分のことはよく分からないと言っていたわたしですが、今は目に見えるくらいによくわかるようになってしまった。
私がどんな人間だったのかといえば、、 わたしは泣きながらじゃないと喋れない人間でした。 わたしの家族はいわば..涙のファミリー。
家族は和気藹々、幼少期には夕食の後には家族でオセロしたりトランプしたり家族で一緒に遊ぶのが楽しくて幸せだたったし、何よりも家族に愛されて育ちました。
両親は父も母も、情が熱く、涙もろく、泣きながら喋るし、そんな家庭で育ったので、わたしも涙もろい人間で育ちました。
一方で、人間で生きることは本当は苦しいことを、答えが分からないまま生きるのは苦しいんだということを、臨死体験や不思議な経験をしている直観力の強い母や、情が熱く常に周りを笑顔にさせてしまう父を通しても、人間とは何か?この世は何からできているのか?大前提がない状態では何にも喋れないことを、無意識レベルでは分かってるから、人前に立てば泣きながらじゃないと喋れないし、泣くことでコミュニケーションをとろうとする、それしかできなかった人間でした。
大人になっても自分の意見を求められる場面でも、涙なしでは語れないし、イメージや考えを言語化する習慣がなかったから、伝えたい想いはあるのにことばで表現して伝えることができず、泣けば済むと思ってるんでしょ!?と相手に思われたり、最終的には、ああ私は喋ることはできない人間なんだ...。と自己否定する。。。他の方法で自分を表現できる方法はないかと、cheerleaderに出会い、体で思いっきり表現できる"cheer"に夢中になった8年間。
360度人、人、人の大きな会場で、ただ思いっきり、笑顔でbig voiceで、選手にエールを送り、試合を盛り上げ、ファンの皆さんと共に勝負に一喜一憂し、体で生きることを精一杯頑張りました。
ただ、人間とは何かがわからないまま。
心で思いっきり、生きてみたい!!!
その叫びがずっと 体のなかで胎動していた。
cheerleaderをやっていてもチームで意見出したりする場面でも、涙でしか表現できないから、本番でcheerを頑張ったとしても泣くことでしかコミュニケーションできないことは卒業できなかったし、そもそも人間とは何なのか?もわからないままcheerやってること自体に疑問を持つようになっていきました。
それに、平和な家庭・不自由なく恵まれた環境で育った今までの家庭の外を見たときに、世界中で戦争が止まない状況があり、なぜ戦争は終わらないのか?同じ人間同士なのにどうして争い合うのか?じゃぁ、その人間とは一体何なのか?ずっと知りたかった。
そんなタイミングで、nTechを学んで、実生活に活用応用している方に出会い、私が知りたい"全てを知れるよ"と、日本に対して深い理解と愛がある、ひとりの韓国人に出会わせてくれました。
続く